新古典主義期の画集を飽きずに眺めています。とりわけゴヤの作品には目を奪われてしまいます。戦争画に圧倒されますが、身過ぎ世過ぎのために描いた肖像画もすばらしい。
お題は愛読している飯島耕一の詩集『ゴヤのファースト・ネームは』からいただきました。ここに収録されている同名の長詩はこのように始まります。
何にもつよい興味をもたないことは
不幸なことだ
ただ自らの内部を
眼を閉じて のぞきこんでいる。
何にも興味をもたなかったきみが
ある日
ゴヤのファースト・ネームが知りたくて
隣の部屋まで駆けていた。
飯島は自らの中に引きこもる病を患っていました。そんな彼をスペインに生まれた画家が外に連れ出したのです。
生きるとは
ゴヤのファースト・ネームを
知りたいと思うことだ。
ゴヤのロス・カプリチョスや
「聾の家」を
見たいと思うことだ。
宮廷画家として成功したゴヤは46歳で聴覚を失いました。53歳で版画集「ロス・カプリチョス」を刊行し、20年後に別荘を手に入れます。「聾の家」とはその家の通称で、この詩ではそこの壁に描かれた14枚の作品を指しているのでしょう。