旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

「で」と「に」

朝散歩の音楽は、今は阿久悠の作詞した作品のコンピレーションです。浅川の土手を歩いていたら、「ジョニイへの伝言」「五番街のマリーへ」が流れました。私にとってペトロ&カプリシャスのリードシンガーは前野曜子なのですが、高橋まり(現高橋真梨子)の歌った都倉俊一作曲のこの二曲も嫌いではありません。
さんざん聞いてきた曲ですが「五番街のマリーへ」でひっかかったところがありました。二番の「五番街で住んだ頃は 長い髪をしてた」です。私なら「五番街に住んだ頃は」にするだろうし、「で」を使うなら「五番街で暮らした頃は」になります。
『岩波国語辞典 第七版』にこうありました。
「その事が現れる(行われる)場所や時を示す。(略)場所や時を示すには「に」も使えるが、「銀座ー会う」「銀座に在る」を比べて分かるとおり、「に」は存在(に関連すること)の場所、「で」は(活動的な)物事の起こる場所を言う。「いなかー暮らす」「いなかに住む」も、「住む」が「暮らす」より静的な意味の表現である点で言い分ける。」
「勝ったね」ですが、私とマリーが五番街に住んだ頃には「(活動的な)物事」があったのかもしれませんし(刃傷沙汰とかね)、人口に膾炙した曲ですからこれでよしと言うことで。

ラーメン屋で働く

ラーメンは好物ですが、袋麺で満足していて、お店には十年以上行っていません。そんな私がラーメン屋で働く夢を見ました。
若い私が有名なラーメン屋に職を得ました。料理人志望ではないので、修行のためではありません。頑固店主だったらすぐやめようと出勤しました。
店では同年代の若者が三人働いていました。店主は温厚そうな初老の男性でした。私の仕事は、客の前にできあがったラーメンを出すだけです。ほかの三人はカウンターの前に並び、流れ作業でラーメンを作ります。店主はニコニコしてレジの前に陣取り、客とお金のやりとりをするだけです。店は開店と同時に満員で、客は途切れることはありません。誰もがおいしいと喜んでいます。
スープは冷凍のものを温めるだけ、麺も立ち食い蕎麦屋のようにさっと湯を通すだけです。漫画やテレビドラマでよく見る、手間のかかる作業は一切ありません。誰のエプロンも汚れることなく真っ白です。
あれっとは思いましたが、仕事が楽ならいいやと、生来怠け者の私は働き続けました。同僚の一人に暖簾分けの話が出たところで夢は終わりました。

ボケ一輪

年中咲いているたぬきの森(ベランダの鉢植え群)のボケですが、今年の夏は咲かず、葉も早々に落としてしまいました。
白いツバキのように枯れてしまうのではないかと心配になりました。でも枝はしっかりしています。「よかったね」とほっとしていたら、それに答えるかのように蕾を一つ付けてくれました。

「古い故人」を供養する『死者の書』

富岡多惠子著『釋迢空ノート』(岩波現代文庫/2006年)を読み終えました。釋迢空(折口信夫)の著書や安藤礼二著『折口信夫』(講談社/2014年)を広げながらの読書で、時間はかかりましたがとても有意義な経験となりました。安藤の『折口信夫』はこの本に拠っているところがあり、『折口信夫』も再読したくなってきました。
折口は1905年、国学院大学予科に入学するために大阪府木津村から上京します。麹町区の素人下宿に住む「新仏教家」藤無染(ふじむぜん)の部屋に同居し、年末には藤とともに小石川区に転居します。富岡は釋迢空という筆名は藤が付けたものと推測します。また、初期の短歌に暗示されている年上の恋人も彼ではないかと。
藤静夫は折口より9歳上で、1894年に吹田市佐井寺の西宝寺で得度し無染となりました。1904年に上京、1906年に帰阪、妻帯して1909年に亡くなりました。
釋迢空著『死者の書』は1943年に出版されました。折口の死の10年前です。折口は「山越しの阿弥陀像の画因」に『死者の書』を書くきっかけとなった自身の見た夢を記してから、このように書いています。
「さうする事が亦、何とも知れぬかの昔の人の夢を私に見せた古い故人の為の罪障消滅の営みにもあたり、供養にもなるといふ様な気がしてゐたのである。」
「かの昔の人」は折口が中学生時代に憧れていた友人、辰馬圭二で、その辰馬が夢にあらわれ、折口に対する恋を打ち明けたと、折口は教え子の加藤守雄に語っています。辰馬は1929年に死去し、折口は翌年、辰馬の菩提寺でお経をあげてもらいました。その夢を見せた「古い故人」については言及されずにきましたが、富岡は藤無染であろうと述べています。『釋迢空ノート』は藤無染に始まり、藤無染で終わっているのです。(その後に、それまでとは趣の違う「ノート10 短歌の宿命」が置かれています。)
読後、近藤ようこの『死者の書』(KADOKAWA/2015-16年)を手にしました。近藤はこれは「鑑賞の手引き」のようなものと書いていますが、原作に添い、かつ独自の解釈を交えた優れた作品です。

紋次郎かも

昨日、子ガラス紋次郎が出没していたあたりで、餌を探している一羽ガラスを見かけました。道の真ん中をゆうゆうと歩くのも紋次郎に似ています。
目が合いました。ここで首を振りながら私の方に来るなら間違いなく紋次郎です。が、残念。
でも紋次郎と思うことにしました。体も大きくなり、飛び方も堂々として、タヌキのじいちゃんはそれだけで嬉しいよ。

山城むつみ『ドストエフスキー』

カラマーゾフの兄弟』、今回は亀山郁夫の訳(光文社古典新訳文庫/2006年)で読んでいます。亀山訳は前にも読んだことがあるのですが、刊行が追いつかず、待つのがじれったくて、途中で放棄してしまいました。
カラマーゾフ米川正夫訳で高校生のときにはじめて読みました。ほとんど理解できませんでした。数年後に別の訳者のものを読み、なんとかストーリーだけはたどることができました。工藤精一郎の訳と思っていたのですが、彼はカラマーゾフを訳していないようです。誰のだったのでしょうか。その後は原卓也訳を愛読しています。
亀山訳は全四冊で、二冊目に入りました。読みながら山城むつみ著『ドストエフスキー』(講談社/2010年)を購入していたことを思いだし、書棚から出してきました。これまた未読です。