旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

父の戦争経験

父は私が17歳の時に腎臓疾患で亡くなりました。父自身が無口でしたし、私も十代の半ばで大人たちを嫌悪する年頃でしたので、纏まりのある話をすることもなく永訣を迎えてしまいました。


父は東京で生まれ、死ぬまでそこを離れませんでした。戦争末期には地図を作る仕事をしながら夜学に通っていたと聞きました。しかし仕事の方は海外勤務を命じられたときに退職したとのことでした。父より先に海外に赴いた先輩たちの誰もが、任地に到着することがなかったからです。そのとき、日本は制海権を全く失っていたのです。
「学校に行くと机を並べていた奴が来ていないんだ。空襲で死んだらしい。何人も死んだよ。」
酒を飲みながら怒気を少し含んだ声で、父がそう語ったことがありました。父が通学していた夜学の工業学校は、空襲の被害が甚大だった墨田区にありましたから、おそらくは沢山の死体を見ることがあったのでしょう。
祖父の営んでいた小さな油屋も、東京大空襲で消失しました。


満蒙開拓青少年義勇団で満洲に移民した母の長兄は、20年前に食道ガンで死去しました。晩年は市会議員に立候補などしていた伯父ですが、戦争の話を聞くことはありませんでした。軍人だった次兄は今でも元気ですが、戦闘経験のないまま敗戦を迎えました。