旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

最後の召集令状

中学校に入学するまでの夏休みは、母の実家の茨城県八千代村(現八千代市)で過ごしていました。私の生まれたところでもあります。
東京と違って近所には親類の家がたくさんあり、同じ年頃の子供たちがいましたから、遊び相手には不足しません。セミ取りやザリガニ釣りなど、毎日同じ遊びをするのですが飽きることはありませんでした。まさに Good Old Days です。
そのころはどこの家でも仏壇のある部屋には遺影が飾られていました。遊びに行く親類や友だちの家もみなそうでした。でも、母の実家のそれとは何かが違うのです。
老人の遺影だけではなく、それらの家では軍服姿の若い男性の写真が飾られていたのです。私はそれが何であるのか、初めはわかりませんでした。私の両親の兄弟で戦死した人は一人もいませんでしたので、遺影とは老人の写真であると思いこんでいたからです。


43歳で病死した父は大正15年生まれで、身長は170センチ近くあり、その時代の男性としては大柄な方でした。ただ肋膜炎を患ったことがあり、甲種合格にはなりませんでした。その父に召集令状が届いたのです。
「俺に赤紙が来るくらいだから、この戦争は負けたと思ったよ。」
無口な父でしたがそんな話をしていたことを覚えています。しかし父が入営することはありませんでいた。招集日の前に日本は敗戦したのです。
数年前に読んだ本で私は、父が受け取った召集令状がこの国で発行された最後のものであったことを知りました。