旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

風神は居候

浅草寺雷門

一日かけて雷門に戻ってきました。「門の名で見りゃ風神は居候」なんて川柳がありますが、雷門の愛称の由来である雷神様は向かって左、居候は右側です。*1
雷門は慶応元年(1865年)に焼けてしまい、再建されたのが昭和三十五年(1960年)、寄進者は松下幸之助でした。しかし門はなくとも、雷門は場所の名前としてずっと残っていたそうです。


再建されたときに私は小学三年生でしたから、当然門のない時期を知っているはずなのですが、まったく覚えていません。十歳までの記憶にはかなり自信があるのですが、雷門のない仲見世は考えられません。が、そのような記事を読売小学生新聞で読んだような気もします。人の記憶とは不思議なものです。
ですから、大好きな上々颱風の曲「メトロに乗って浅草に」の設定には無理があります。そのうち、昭和初期を舞台にした映画に雷門が登場するかもしれません。昭和11年2月26日、雪の積もった雷門前を警備する反乱軍兵士たち、なんてシュールですね。


雷門の前にはいつものように記念写真を撮る人たちがたくさんいました。鬼海弘雄の写真集「や・ちまた」を思い出します。そう言えば、浅草に着いてからまだわずかの時間しか経過していないのですが、あの写真集に登場してもおかしくない人たちを何人も見ました。


最近の観光地でよく見られる、人力車を引く若者たちがここにも大勢いました。私はあれが嫌いです。そんなにしつこい客引きはしていないようですが、じゃまになります。私にとって人力車とは、黒板塀の前にひっそりと置かれているものです。

*1:この川柳は小沢昭一「ぼくの浅草案内」からの孫引きです。