旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

ヒーローが消えたとき

「246」

沢木耕太郎の新刊「246」を読んでいて、次の文に目が止まりました。*1

 だがそれにしても、テレビ中継(瀬古が優勝した1986年のロンドンマラソンの中継−引用者注)のゲストとして出演していた長嶋茂雄の無残さはどうしたことだろう。的はずれで、支離滅裂な解説をしているから無残なのではない。(中略)長嶋の無残さとは、自分が王だと勘違いしているピエロの無残さである。本物のピエロなら、たとえ王を演じていても、自分がピエロだという意識は常にあるものなのだが‥‥。

東京で育った私にとって巨人以外の球団は存在せず、長嶋は最大のヒーローでした。テレビがない頃には、新聞の朝刊で見る前日の試合の彼の打撃成績に、一喜一憂していました。銭湯の下足箱はもちろん3番で、それがふさがっているときは意気消沈したものです。


現役時代の長嶋は無口な人に見えました。当時のマスコミは、スポーツ選手を試合の場以外まで追いかけることをしませんでしたので、私たちに伝わってくる彼の言葉は、野球に関することだけだったのです。


長嶋の引退後の言動には驚きました。それはまったく無知な大人以外の何者でもありませんでした。
「野球だけに生きてきた人だから仕方ないんだろうけど、かわいそうだな。でも、そのうち周りも呆れて、監督業に専念できるだろう。」


しかし、彼の人気は現役時代よりも高まっていったのです。たぶんこのころから彼は<ミスター>と呼ばれるようになったのでしょう。
長嶋本人もそれを喜んでいるようで、すっとんきょうな言動はさらに激しくなっていきました。
私は彼を、このようになってはいけない大人の見本と考えるようになりました。大切なヒーローはどこかに行ってしまったのです。


現在も私の考えは変わっていません。ただ、脳梗塞で入院したときには、これでやっと彼も静かな生活が送れるな、と胸をなでおろしたものでした。少年時代に彼からもらったものは、やはり大きかったのです。
が‥‥、もう何を言う気もおこりません。


沢木の文章を読んだときに、自分の気持ちを代弁してくれている、と溜飲の下がる思いがしました。長嶋批判はマスコミのタブーとなっているようで、それに対する苦々しい思いもありました。
しかしそれは一瞬のことで、沢木は私のように無知な人間を軽蔑しているのではないことに気づきました。彼はそれよりもずっと深いところにある、偉大であった人間の悲劇を見ているのです。
そのような視点を持てない軽薄な自分が恥ずかしくなってきました。長嶋のことをとやかく言える私ではありません。


私とふたりの娘たちの読書傾向はまったく異なっているのですが、沢木耕太郎の作品だけは唯一の例外です。

*1:「246」は沢木耕太郎が雑誌「SWITCH」に、1986年から87年にかけて連載した日記風エッセイをまとめたものです。