旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

あの圓生でさえ

三遊亭圓生は、私が名人と感じた初めての落語家でした。しかし、何故か「さほどでもない」と思うようになり、それが長く続いてきました。
最近、京須偕充さんの本を読むようになり、再び圓生の評価が変わりました。やはり名人、いや大名人でした。


ちくま文庫に入った京須さんの「圓生の録音室」を読んで、驚いたことがあります。
京須さんのプロデュースした「圓生百席」の「帯久」に、圓生は次のような口述解説をしていました。

あたくしが(数え年で)廿四のとき、ちょうど関東大震災の年でしたが、芳町の鳶頭(かしら)に『江戸の華』という、江戸の大火の記録本を借りまして、写せるだけ写させてもらい、大岡越前守が活躍したという享保年間の大火を調べて、この噺にとりいれました。

圓生は二十歳のころに口演速記で「名奉行」という演目であったを「帯久」を読み、それを本来のかたちに戻そうと時代背景を学び、五十七歳の独演会で初演したのです。
「帯久」は歳をとってからやる噺だとは考え、永く温めていたそうですが、それにしも意志の強さに感心します。
が、私が驚いたのは若き日の圓生が、人から本を借り、それを写して復活させたい噺の時代背景を学んでいたことでした。私には圓生という人が、そのような地道な努力とまったく無縁の人に見えていたのです。


たぶん、三遊亭圓生は死ぬその日まで学び続けた人なのでしょう。私も圓生の爪の垢を煎じて飲みたいものです。

圓生の録音室 (ちくま文庫)

圓生の録音室 (ちくま文庫)