旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

ワードプロセッサー事始め

昨日、年賀状を作りながらワードプロセッサーを使い始めたころを思い出していました。25年以上前のことです。


どこのメーカーかは忘れてしまいましたが、初めて見た個人用の日本語ワードプロセッサーは、文字を表示する液晶がとてつもなく小さなものでした。1行20文字くらいしか表示できなかったのではないでしょうか。プリンタは内蔵されていましたが、そんなものでも確か20万円以上していました。
十代のころから英文タイプを手にしていた私ですが、とても手が出せません。欲しいなぁ、と思いながら指をくわえているしかありませんでした。
英文タイプでもうおわかりでしょうが、梅竿忠夫の「知的生産の技術」にどっぷりはまっていたことがあったのです。三つ子の魂なんとやらで、個人では持てそうもない日本語タイプに変わるものがとうとう現れたと感動し、早速欲しくなったというわけです。


実際に手に入れたのはそれから2年後でした。カシオの小型ワープロです。
液晶はもちろん小さく、B5しか印刷できません。文章の推敲などは無理な相談ですから、小さな印刷機として使っていました。
当時労組の支部書記長をしていましたので、労務協議会の速報などをそれで作り、配布していました。会社には今では信じられないような大型のワープロがありましたが、一般にはまだ広まっていませんでしたので、珍しがられたものです。
その後、東芝のRupoやシャープの書院など、大きな液晶画面とフロッピードライブを備えた製品が発売され、専用ワープロの短い黄金時代が訪れるのです。


ワープロの黎明期に、忘れられない製品があります。
ミノルタ製だったと思うのですが、小さなポータブルテレビみたいな形をした本体とキーボードはカールコードで結ばれ、本体に嵌め込まれたCRT(液晶ではありません)の黒い画面に、文字がオレンジ色で表示されるのです。
マニアックな雰囲気があるでしょ。骨董品みたいに、部屋の片隅にそっと飾っておきたくなるワープロでした。