旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

ポスターを描いていたころ

昨日の夢にポスター制作が出てきました。私が受けた美術の授業は石膏デッサンと油絵が主体で、夢の中のようにポスターを作ったことはありません。でも高校生のころには、授業とは関係なく、ポスターを描いていました。


時代はサイケデリックアートの真っ盛りで、商品の宣伝やコンサートなどの告知といった実用性のあるポスター以外に、美術品としてのそれが売られるようになってきたのです。
私も見よう見まねでそんなポスターを描き始めました。蛍光色を使うと、どんなものでもそれらしくなります。
そのうちに横尾忠則粟津潔を知り、その模倣をしました。また、横尾を通してアンディ・ウォーホルも知りました。
描いていることだけで十分に満足していたのですが、頼まれて演劇などのポスターも手がけるようになりました。1品制作ですから学校に貼るだけですが、反響があるのは嬉しいものです。私のポスターは好意的に受け入れられていたようで、それを欲しがる人が何人もいました。
自分のライブのポスターも作ったことがありますが、照れくさくて、他のポスターより目立たないように気を使いました。
模倣から入ったポスター制作ですが、数をこなしているうちにオリジナリティーらしきものが出てくるものです。手元には1枚も残っていませんが、数枚のポスターは細部まではっきりと記憶に残っています。当時は自分の楽しみのためだけに描いたものとしか思っていませんでしたが、結構な水準に達していたのではないかと、今の私は考えています。それは、プロとして通用することを意味してはいません。
架空のコンサートのポスターを描くことが好きでした。「どんなメンバーにしようか」をまず楽しみ、さらにそのポスターを作ることで二度楽しむ。無為だけれど、至福の時間でした。
富樫雅彦さんが怪我で入院していたときには、彼の再起を祈って、横顔のシルエットを大きくあしらった復帰コンサートのポスターを作りました。


若い時って、やりたいことにいきなり向かっていけるのですね。自分に才能があるかなんて全然考えない。マネと言われたって気にしない。ヘタでも楽しいし、うまくなればもっと楽しい。
少しだけ、十代に戻りたくなってきました。