旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

平賀源内の墓

平賀源内墓所前

芳賀徹の「平賀源内」(朝日選書)を読み、源内がなぜ浅草橋場の総泉寺に葬られたのかを知りました。
源内の墓は私が育った町にあります。小学生のときに、自分の住む町の歴史を調べるという授業があり、何人かのお年寄りから話を聞きました。
それ以前から源内の墓は知っていました。が、そこに総泉寺という古刹があったことはそのときに知りました。関東大震災後に移転したそうですから、その寺を実際に見た人がまだ生きていたのでしょう。
また、そのときに総泉寺は秋田藩の佐竹家と縁(ゆかり)があるとも聞きました。後年、その関係で源内の墓があったのだろうと、勝手に想像していました。源内によって秋田藩に洋画の技法が齎らされ、秋田蘭画が生まれたからです。藩主義敦は曙山の号を持つ優れた画家でもありました。
ところが、そうではなかったんです。
源内と親交のあった幕府医師官の千賀道隆が獄死した遺体を引き取り、自身の菩提寺である総泉寺に墓を建てたのだそうです。
墓所がなぜ残されたのかはわかりません。昭和初年の発掘調査では、遺体が埋められていたことが確認されています。
黄表紙洒落本集」を購入した古書店に、同じ岩波書店の旧日本古典文學大系本「風来山人集」を注文しました。