旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

路上の商い - ささやかな、本当にささやかな

わずかな商品を乗せた木製の車を押している小柄なおばあさんがいました。手作りの車は小さく、売っているものは店晒しにされ埃をかぶったように見え、私は立ち止まることもありませんでした。
私の母は農村で生まれ、育ちました。家は農家ではなかったのですが、曳き売りや露店に胡散臭さを感じていたと思われます。それでも縁日の夜店にはよく家族で行きました。下町育ちの父がそれを嫌いなわけがありません。
二人のときに母が外で買ってくれるのはおでんだけでした。買う屋台は決まっていて、そこはほかとひと味違っていました。母自身も食べたかったからでしょう。
そんな母が、おばあさんの店のものを買ってくれたことがありました。珍しく、母がそれを促したのです。欲しいものがなくて選びかねていると、「これにしたら」と母は蝋粘土を手にし、代金を払いました。「こんなの、いらない」と口に出かかったのですが、私は黙って蝋粘土を受け取りました。4歳のことでした。
薄暮の中に貧相な身なりの小さなおばあさんが立っている、その情景を忘れたことはありません。哀しさだけでなく、暖かいものを感じたからです。それがどこから来ているのか、何度も問い、いくつもの答を出してきました。正解など求める気はありません。あのひとときが、丸ごと私の中に残っていることだけでいいのです。

路上の商い - 食べ物屋あれこれ

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写真は私の町に、毎朝納豆を売りに来たおばさんです。加藤嶺夫氏が1968年に墨田区向島で撮影したものです。加藤氏の写真集『東京 消えた街角』(河出書房新社)に収録されています。おばさんは向島から白鬚橋を渡り、橋場にやって来ました。
天秤棒の前の竹籠には納豆の藁苞(わらづと)が、後ろには味噌豆のお櫃が入っています。味噌豆は大豆を炊いたもので、薄い醤油味です。私は味噌豆が大好きでした。おばさんは売り声をあげません。来る時間は決まっていましたので、私は丼を手にして明治通りで待ちました。おばさんはお櫃からまだ暖かい味噌豆をお玉で丼によそり、青海苔をたっぷり振りかけてくれました。そのまま、朝のおかずになるのです。納豆にも葱、青海苔と辛子を入れてくれました。
炊いた赤えんどう豆をオートバイで売りに来るおじさんもいました。こちらは、おかずにもなりましたが、子供向けでした。紙を円錐形に巻き、その中に豆を入れます。塩味がついていますが、望めば黒蜜もかけてくれます。私の豆好きは、間違いなくこの時期に始まったのです。
子供向けの食べ物屋は、ほかに飴細工と新粉細工がありました。今でもテレビで紹介されることがありますが、昔の人たちの技量はあんなものではありません。飴細工はなんとか見られますが、新粉細工は足元にも及びません。
食べ物ではありませんが、薄荷パイプもよく買いました。セルロイド製と木製があり、中には薄荷を染みこませた脱脂綿とグラニュー糖が入っていました。薄荷の香りはすぐに消えてしまいますが、詰め替えは売られていません。木製は煙草も吸えるとおじさんは言っていましたが、使う大人を見たことはありません。

路上の商い - チャンバラ飴

手動式メリーゴーランドや移動映画館もそうでしたが、物売りはみな一人でやって来ました。例外はチャンバラ飴で、これは大がかりな商売でした。
その一行を見たとき、近くの芝居小屋の宣伝かと思いました。道中合羽に三度笠の渡世人、鳥追い姿の女性、尻からげの男たち二人、やくざ芝居から抜け出たような人たちが町にやって来たのです。本格的な衣裳と鬘を付け、化粧も念入りです。
人が集まると、渡世人の口上が始まりました。「私たちはこれからここでチャンバラ劇をお見せいたします。見料はいただきませんが、その代わりに飴を買っていただきたい。」
十分ほどの芝居が始まりました。鳥追いにからむ男たち。渡世人は「お前(めい)たち、やめねえか」とその間に入ります。感謝し渡世人にすがる鳥追い。「何をしやがる、この野郎」と男たちは長どすを抜き渡世人に斬りかかります。暫し殺陣(たて)があり、打ち負かされた男たちは捨て台詞を吐いて去っていきます。息を整え、役者一同は観客に頭を下げます。ぱらぱらと拍手が起こりました。
さて、商売です。台の上に蓋をしたケースが置かれています。中には澱粉をまぶした、昔ながらの白飴が並んでいます。紙芝居のように一人あたり一つで、値段は高めです。買う人はあまりいません。私もそうでした。
チャンバラ飴は一度しか来ませんでした。たぶん、解散した旅芝居の人たちがやっていたのでしょう。
手動式メリーゴーランドや移動映画館、チャンバラ飴、どの商売も儲りそうにありません。町を歩けば工員や事務員、店員を「求む」手書きのチラシがあちこちに貼られていた時代です。次の仕事、すぐにみつかったよね。チャンバラ飴の人たちはチンドン屋もいいけどな。

路上の商い - 移動映画館

私は1952年生まれですので、いくら浅草育ちでも、覗きからくりは見たことがありません。が、何かを見せてお金を取る商売はありました。紙芝居は違います。あれは子供集め、菓子売るために紙芝居を見せるのです。ですから、菓子を買わない子も、後ろの方で見ることは許されました。売っているのは、ソースせんべいと水あめでした。町内には3人の紙芝居屋が来ていました。
幻灯を見せる商売があったかのか、記憶はあやふやです。夜店で、幻灯機やそれに使うスライドは売っていたような気がしますが、断言はできません。はっきりと覚えているのは移動映画館です。
それを曳いてきたのはオートバイだったのでしょうか。かなり大きなもので、たぶん発電機も付いていたのでしょうから、自転車では無理です。
移動映画館は建築現場に置かれているトイレに似ていました。上に消臭用のベンチレーターのようなものを立て、ファンが廻っていたところも、臭気抜きではなかったのでしょうが、そっくりです。その中に、映写室と数人が立って見る客席がありました。
使われていたのは8ミリなのか、昔おもちゃ屋で売られていたという家庭用映写機なのかは、私は見たことがないのでわかりません。また、どのような映像を見せていたのかも知りません。見終わった客には、おまけとして駄菓子屋でも売っていたフィルムの切れ端を渡していました。
あちこちに映画館があった頃でしたから、物珍しさで人が集まっても、手動式メリーゴーランドと同じで、客はほとんどいませんでした。

路上の商い - 手動式のメリーゴーランド

東京の下町に住んでいたせいか、子供の頃にいろいろな物売りを見ることがありました。今でもわずかに残っている曳き売りの屋台の食べ物屋はもちろん、懐かしの風景としてよく紹介される羅宇屋(らおや)や金魚屋、爆弾あられなどがありましたが、他の土地にはなかったのではないかと思われる不思議な商売もやって来きました。
手動式のメリーゴーランドと書くと、本物から「一緒にしないでくれ」と抗議されること間違いなしの代物がありました。自転車が曳く台車の上に、古びた乗り物を数台取り付けた木製の円盤が載せられています。もうおわかりでしょう。おじさんの口上にのせられ、乗り物に乗る子供がいると、彼は手で円盤を回転させるのです。菓子を売り、買った子を乗せるのではありません。料金を取って乗せるのです。
一度だけこのメリーゴーランドが動いているのを見たことがあります。おじさんは世界の国々の名前を読み込んだ、御詠歌のような節の歌を歌っていました。メリーゴーランドは世界一周のための乗り物だったのです。

タヌキの時代 + 投函し忘れた3月23日の便り

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容貌が似ているせいかタヌキに愛着があります。でも、グッズを集めるほどではありません。人気のなかったタヌキですが、最近は変わってきたと聞きました。嬉しいことです。
先日、買いものの途中でタヌキを見かけました。あいにくカメラは持っていませんでした。あのタヌキなら逃げることはないだろうと、日を改めて会いに行きました。
更地の隅に置かれていましたので、ここにあった家で飼われていたのでしょう。この近くに、もっと大きなタヌキを玄関に飾っている家もあります。

 

(3月23日に書いた便りの投函を忘れていました。日を遡っての投函はできない仕様になっていますので、それに気づいた本日の便りの最後に追加いたします。こんなことははじめてで、老いを感じております。)

 

2021年3月23日
養豚

豚を飼育する夢を見て、母の実家のまわりには何軒かの養豚農家があったことを思いだしました。
子供の頃、子豚がかわいくて、よく遊びに行きました。くるっと丸まったしっぽで、まだピンクの子豚は私にもだっこできました。鳴き声もかわいくて、ずっとそうしていたいのですが、母豚が怒って私に向かってきます。すぐに子豚を下に置き、柵の外に退避です。豚のスピードにはびっくりしました。横になった母豚のお乳を、ずらっと並んで吸っている姿も見飽きませんでした。
夢では、私の家に20頭の、体調60センチほどの幼い豚たちが、トラックに載せられてやってきました。まだ柵を作っているところでしたので、急いで完成させ、豚を放ちました。今日から養豚が仕事になるんだなと、楽しみ半分、不安が半分で餌を与えました。その後、なんと乳牛も3頭やってきたのです。こりゃ大変だ。
その夢が終わってから、また不思議な夢を見ました。覚えていたら、明日書くことにします。私の場合、夢の保存期間は長くて半日です。メモしておけば大丈夫かな。

 

ペア桜

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今年はサクラの写真を撮る気がしません。毎年撮っているし、近所にはソメイヨシノしかないので飽きてしまったこともあります。
でも1枚くらいは撮っておこうと、近くの公園に行きました。早朝でもないのに人がいません。いつも見ているサクラが、違って見えました。これは悪くない。