旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

遠藤正敬『戸籍と国籍の近現代史』

遠藤正敬(えんどうまさたか)著『戸籍と国籍の近現代史 - 民族・血統・日本人』(明石書店/2019年初版第4刷)を読んでいます。通読できなかった本ですが、今回はやります。
小熊英二の『〈日本人〉の境界』(新曜社)を再読したくなってきましたが、読み終えてからにします。通読できない原因の多くが、他の本に移ってしまうことにあるからです。
厚めの本が机に積まれていきます。次の入院までに読み終えるのはとても無理。退院してからもそれらを読みたい気持ちが持続しているのか、あまり自信がありません。それならそれでいいと考えるようになってはきています。

志ん生の背中を流す

古今亭志ん生の夢を見ました。
住んでいるのは日暮里の家ではなく、落語家になった長男(馬生に非ず)の家族と同居していました。もう高座には上がっていないようでしたが、とても元気そうでした。私は落語家志望ではなく、なぜ会いに行ったかはよくわかりません。師匠とも落語以外の話をしていました。そのうちに銭湯に行くことになり、私も付いていき、背中を流すことになったのです。
夢はその後長男の家の話に移り、志ん生は退場してしまいました。

intervention

昨日の東京新聞朝刊の『杉全(すぎまた)美帆子の読み解きアート』では埼玉県立近代美術館で開催されている「アブソリュート・チェアーズ」が紹介されていました。「今回の展覧会は「座れない」作品がほとんど。「座る」以外の椅子が持ついろいろな面を、現代作家があの手この手で可視化してくれます。」と杉全は書いています。そんな「アート」のいくつかが写真とイラストで掲載されていました。その中のダイアナ・ラヒムの《インターベンションズ》は公園でよく見かける「排除アート」そのものです。"interventions"というタイトルですから、作者がこの椅子の形状を批判的に見ているのは間違いありません。しかし杉全のキャプション「体を横たえたい人の邪魔する物体を少しでも感じよく…」に疑問を感じました。どれだけ可愛く飾り立てても、あんな椅子はintervention(口出し)にしかなりえないのです。
一夜明けて今日の東京新聞朝刊の『こちら特報部』には「新宿の公園ベンチは「意地悪」か」という記事がありました。あの「排除アート」は最近では「意地悪ベンチ」と呼ばれているのですね。こちらははっきりと「意地悪ベンチ」に否定的でした。

息があがる

外を歩いていて膝や腰が痛むことはありません。これなら以前のような散歩もできるのでは、と期待してしまうのですがそうはいきません。ゆっくり歩いていても息があがり、苦しくなるのです。肺活量が相当墜ちているのでしょう。
病人なのですから無理は禁物。気にはしていません。

どですかでん

春のテレビドラマ、テレビ東京の『季節のない街』がおもしろそうです。監督・脚本が宮藤官九郎に濃~い俳優陣そして演技派の猫。こりゃたまりません。
濱田岳の走るシーンが『あまちゃん』のオープニングのパロディーならそこに流れる音楽ももしや?と思っていたら、当たり!で大友良英でした。
「季節のない街」の設定をみると、苦いドラマでもありそうです。それがクドカンの持ち味ですもんね。