旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

真先稲荷はどこに

石浜神社

剣客商売」の第一巻に大治郎の道場について「浅草の外れの、真崎稲荷明神社に近い木立の中へ、秋山大治郎が無外流の剣術道場をかまえてからそろそろ半年になろうか」と書かれています。
時代小説や落語にはよく真先稲荷が登場します。江戸時代、真先稲荷の前には田楽を売る茶屋が何軒も並び、たいそう繁盛していたそうです。
しかし私には真先稲荷の記憶がありません。橋場の神社といえば産土神の石浜神社で、お稲荷さんは個人の住宅や工場の片隅にそっと鎮座しているものだけでした。


真先稲荷はどこにいってしまったのでしょか。調べてみたらすぐにわかりました。
大正15年に石浜神社に合祀されていたのです。たぶんよく遊んだ石浜神社の境内にあった小さなお稲荷さんがそれだったのでしょう。


石浜神社も現在は私が住んでいた頃の場所にはありません。昭和63年、道路を挟んだ向かい側に移転しました。


寺社の盛衰はよくあることです。真先稲荷も明治大正と時が過ぎるうちに、信者を失っていったのでしょう。でも往時を偲ぶことはできます。写真は石浜神社ですが、石造りの立派な一の鳥居は安永8年(1779)、真先稲荷に建立されたものなのです。


安永8年は平賀源内が獄死した年でもあります。実は平賀源内の墓所も橋場にあるのですが、その話は後ほど。