旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

「時そば」の成立するわけ

「大工調べ」に関連し、江戸時代の通貨について少し調べているときに、和田誠さんの「倫敦巴里」という本のことが思い浮かんできました。
「倫敦巴里」はたぶん和田さんの初めてのエッセイ集で、「話の特集」に掲載された文章を中心に編まれていたように記憶しています。当時の人気作家たちの文体模写による「雪国」の冒頭には抱腹絶倒したものです。
その中に「時そば」についてのエッセイがありました。それは、内容も文体も、エッセイというよりは論文のようでした。
なぜ「時そば」のまねっこ男はしくじってしまったのか、ということが考察の内容でした。
お利口男は九刻(ここのつ)ころに二八蕎麦を食べました。まねっこ男は四刻(よつ)です。時刻を考えに入れなかったまねっこ男の粗忽さを私たちは笑います。しかし、彼が失敗したのは粗忽だったがゆえだけではないのだ、と和田さんは主張しました。
この噺の真の面白さを味わうには、江戸時代の時刻について知識が必要だったのです。和田さんはその文章の後半で、それを精緻に解説してくれました。和田誠恐るべし、と私はそのとき肝に銘じたのです。*1


三三さんの「大工調べ」について、何の感想も書かずに終わってしまうところでした。
まだ彼独自のものとはなっていませんが、気持ちよく聞けた「大工調べ」でした。棟梁の啖呵も、一本調子の喧嘩口調ではなく、うまくできていたと思います。
豊かな才能を持った若い人たちが、落語の世界にたくさん入ってきています。その人たちの力が現在の落語ブームを作り上げているとしたら、それは一過性で終わらないはずです。
落語の未来は明るく、その時代をともにできる私は幸せ者です。

*1:三十年ほど前に読んだ本ですから、私の記憶違いがあるかもしれません。「倫敦巴里」、もう一度手にしてみたい本です。