旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

三舎を避く

大江健三郎の小説を読み続けています。今は『さようなら、私の本よ!』(講談社文庫/2009年)で、この後『美しいアナベル・リイ』(新潮文庫/2010年)、『水死』(講談社文庫/2012年)、『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』(岩波書店/2013年)と進む予定です。
大江の小説にはそれと関連する数冊の本が登場します。『さようなら、私の本よ!』は主人公、長江古義人(ちょうこうこぎと)にとっては「コロンバン小説」ですので、セリーヌの『夜の果てへの旅』が繰り返し取り上げられていますが、基調をなしているのはエリオットの作品です。それとドストエフスキーの『悪霊』と『白痴』も重要です。私はセリーヌとエリオットの本を1冊も持っていません。これを機会にとも考えましたが、今はやめておくことにしました。
ロバンソンは『夜の果てへの旅』の「不思議な脇役」で、主人公、バルダミュを「奇態な出来事に引きずり込」みます。「自分よりその男に焦点をおいて、出来事全体の物語として書」かれたものが「コロンバン小説」です。『さようなら、私の本よ!』では古義人がバルダミュ、彼の幼なじみの建築家、椿繁(シゲ)がコロンバンです。古義人は『白痴』も「コロンバン小説」とみなします。こちらではロゴージンがコロンバンとなります。
シゲが古義人に「おれたちpseudo-couple」には「バルダミュとロバンソンの二人組も、あえて三舎を避けたのじゃないか?」と話しかける場面があります(311頁)。この「おれたち」は古義人とシゲではありません。『さようなら、私の本よ!』は再読ですが、「三舎を避けた」は私のまったく知らない言葉で、おそらく前回は読み過ごし、辞書を引かなかったのでしょう。『広辞苑 第六版』には「三舎」とは「昔、中国で、軍隊の3日の行程。90里(春秋時代の1里は約405メートル)。」のことで、「三舎を避く」は「(90里の外に退くの意)おそれはばかって避ける。相手をおそれて近付かないこと。」とありました。