菓子舗眞志屋に伝わったお七手縫いの袱紗について記します。これはまた眞志屋と水戸家の関係をもあらわしています。
水戸家の御用達に河内屋という粉屋があり、島という美しい娘がいました。河内屋は本郷に地所を持ち、そこに八百屋市左衛門が住んでいました。そこには島より少し年下で、これまた評判の娘がいました。名は七で、島となかよしでした。島が小石川の水戸家に奉公に上がることになり、七は餞別に袱紗を縫って贈りました。その後七は自宅に放火し、天和三年(1683年)三月に処刑されました。壽阿彌が縁起を自書した布(きれ)を縫い付けたこの袱紗を、鷗外は手に取っています。
義公光圀の側女中であったは島は暇(いとま)となり、水戸家御用達の眞志屋五代目廓清に嫁ぎ、一子をもうけました。その子東清は義公の庶子でした。眞志屋の屋號は東清の代に水戸家から拝領したものです。八代目は東清の養子が継ぎました。
壽阿彌は十一代目です。眞志屋は西村氏ですが、彼は遠江國濱名郡江間氏から出ています。
『壽阿彌の手紙』は青空文庫で読むことができます。