旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

ヴァイオリン・ソナタ K.304

中村文則東京新聞の連載小説『逃亡者』を毎朝楽しみにしています。
昨日は、遠くから「モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第28番第二楽章」が聞こえてくる場面が描かれていました。交通誘導員と自称する不思議な人物が「このヴァイオリンの音色は、おそらくアルマ・ロゼによるものです」と主人公に話しかけます。ロゼはグスタフ・マーラーの妹の娘で、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所で「囚人」たちによるオーケストラを作っていました。彼女は1944年にアウシュヴィッツで亡くなっています。優れたヴァイオリン奏者だったそうですが、録音はないはずです。
モーツァルトのピアノ・ソナタと協奏曲なら番号を言われればほぼ思い出すことができます。ヴァイオリン・ソナタはあまり覚えていません。オーギュスタン・デュメイマリア・ジョアン・ピリスによる演奏を聞いてみました。第二楽章はピアノのリードで始まる美しい曲でした。小説の内容からもっと悲しい旋律を連想していましたが、そうではなく、空に消えていくような澄んだメロディーです。
第一楽章に戻してみました。こちらは聞き覚えがありました。ヘンリク・シェリングとイングリット・ヘブラーの盤も聞いてみましたが、この小説にはデュメイの方が向いていました。

単眼鏡を使ってみました

東京都美術館の「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」で、昨年買った単眼鏡を初めて使ってみました。まず職員に使用の可否を問いました。大丈夫とのこと。ケースから出し、首からぶら下げました。
実に役に立ちます。細部をじっくり見たり、人だかりしている作品では遠くから眺めることもできます。
双眼鏡を使っている方もいました。

奇想の系譜展

東京都美術館で開かれている「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」に行ってきました。開場時間に少し遅れて入ったのですが、すでに混んでいました。辻惟雄の名著『奇想の系譜』(ちくま学芸文庫)で紹介されていた作品の多くが一堂に会した展覧会ですからさもありなんです。
入場するといきなり伊藤若冲の「象と鯨図屏風」がお出迎えです。でっかいなー。肉球をぺろぺろとなめているあの虎もいます。ここだけでもお腹が一杯になってしまいそうです。
私のお目当ては岩佐又兵衛の「山中常磐物語絵巻」。見たのは第四巻でしたが、図録には第五巻も載っていましたので、入れ替えで公開されるのでしょう。もう一度来たいな。
懐かしい絵との再会もありました。歌川国芳の大絵馬「一ツ家」です。昔は浅草の観音さまの本堂に掛けられていました。線香の煙でよく見えなかったのですが。
欲しくなってしまったのは白隠慧鶴の「すたすた坊主図」。部屋に飾れば幸せが訪れそうです。
分厚い図録は見ごたえがあります。

 

奇想の系譜 (ちくま学芸文庫)

奇想の系譜 (ちくま学芸文庫)

 

 

最後の年賀状

数年前から「これが最後となります」と書かれた年賀状が届くようになりました。
今年も一枚。それは数十年会っていない友人からのものでした。その間、彼と電話で話すこともなかったのですが、年賀状の交換だけは一年も欠かすことなく続けてきました。
これで彼との繋がりはまったくなくなりました。こちらから一方的に送り続けることはできますが、それは彼の望むところではないはずです。
彼と毎日のように会っていた日々の記憶は、これからも消えることはないでしょう。

なぜ私が道をきかれるのか

道をきかれることがよくあります。教えるときには道だけではなく、一言、二言雑知識を付け加えるようにしています。
先日は土方歳三資料館への行き方を尋ねられました。おまけとして、日野宿本陣と土方の墓のある石田寺の場所も教えました。その人は喜んでいるようでしたが、本当は迷惑と感じていたのかもしれません。
東京以外でもそういうことがよくあります。そんなときは、相手の期待を裏切らないようにその土地の人のふりをします。「んだねぇ」なんていい加減な方言を交えることもあります。
人がなぜ私を選ぶのかはよくわかりません。善人面だからかなと思い鏡を覗いたこともありましたが、そこに映っているのはどう見ても古狸でした。でも、だましたことはありません。

読み始めると止まらない

絓秀実の『増補 革命的な、あまりに革命的な 「1968年の革命」史論』(ちくま学芸文庫)を読み始めました。
第Ⅰ部第四章「大江健三郎における保守的革命主義の帰趨」で触れている大西巨人の二つの文章が読みたくなり、『大西巨人文選2 途上』(みすず書房)を書棚から引き出しました。「ハンセン病問題 その歴史と現実、その文学との関係」と「大江健三郎先生作『われらの時代』」です。
どちらも既読ですが、内容は忘れていました。「ハンセン病問題 その歴史と現実、その文学との関係」では、参照されている文章の多様さに驚きました。これが批評というものなのでしょう。
大江健三郎先生作『われらの時代』」では『われらの時代』が完全に否定されています。大江の小説の愛読者である私ですが、これはこれで納得できます。大西は別の評論で『芽むしり仔撃ち』には高い評価を与えていました。大西の大江評は江藤淳に似ています。それが面白く思えました。
大西の文章はなぜか後を引きます。絓の本はひとまず置いて、文選を読み耽りそうです。

肥料やり

ホームセンターで鉢植え用の肥料を買ってきました。固形の骨粉入り油かすです。
すべての鉢に置いたらぴったり使い切ってしまいました。勢いのない鉢がいくつかあるのですが、少しは元気になってくれるかな。