旭亭だより

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「こころ」論を読む

大江健三郎の「水死」に触発され、昨日は終日、手持ちの「こころ」論を読んでいました。江藤淳桶谷秀昭、梶木剛、松元寛の漱石論の中から、「こころ」を取り上げた部分だけを読み比べてみたのです。
どの漱石論も一度以上読み通しているのですが、ひとつの作品論だけを抜き出し、比較するのは初めてのことです。同じ小説が、論者によってこのように違った読み方ができるのかと、まず驚きました。ただ、「先生」はなぜ自殺したのかということが、どの「こころ」論のテーマではありました。
私の関心は、今はそこにはありません。先日の便りに書いたように、「先生」は本当に「明治の精神」に殉じたかという点にあります。
そのような私からは、松元寛の「こころ」論(「増補改訂 漱石の実験」/朝文社)が最も納得のいくものでした。殉死するという「先生」の遺書は韜晦だというのです。なぜなら、「先生」の自殺の原因は「私」にあったからなのです。しかし、漱石島尾敏雄と結びつける結語の部分は説得力を欠いています。
今日は石原千秋の「『こころ』大人になれなかった先生」(みすず書房)を再読することにします。