旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

連休の一日目

午前中は自転車で買い物に出かけました。少し肌寒さを感じましたが、新緑がきれいで快適でした。
午後からは読書。大江健三郎の小説を読んでいました。これで未読は「治療塔」「治療塔惑星」と「燃えあがる緑の木」三部作だけとなりました。
大江は私がはじめて読んだ同時代の作家です。高校生のときに学校の図書室にあった新潮社版(第一期)の作品集六冊を読み、その後は新作の刊行を待つようになりました。が、それは長く続かず、「ピンチランナー調書」を最後に、旧作を読み返すこともなくなりました。
三十年近くのブランクの後、比較的新しい小説から大江をまた読むようになりました。計画的にではなく、入手が簡単な本を求めての読書でした。それがとてもおもしろかったのです。
私が読まなくなる少し前から、大江の小説は私小説的な書き方になりました。もしかしたら、二十代前半の私はそれが嫌だったのかもしれません。
障害を持って生まれた長男にはじまり、長女、次男も小説に登場するようになりました。また、四国に住む母や妹も重要な役割をするようにも。もちろん、自殺した義兄は後期の作品には欠かせない人物です。
しかし、小説の中の作家や、作家を囲む人たちは虚構の人物です。家族構成が私生活とほぼ同じなので、私小説として読もうとする読者の存在を大江は当然意識し、そのような書き方を選んだのでしょう。その効果は、通り一遍読んだだけの私にもわかります。意味するところはまだつかめませんが。
大江の小説を再読する機会があるなら、発行順に読み、同じように見える人たちの描かれ方の違いとその変遷に留意したいと考えています。