今はほとんど手にすることはありませんが、旭亭の書棚の一列を詩集が占拠しています。その多くが思潮社の現代詩文庫です。鮎川信夫、田村隆一、石原吉郎などなど。戦後詩と呼んだ方がしっくりします。一番若い詩人でも伊藤比呂美で、それでも私にも詩を読んだ時期があったのです。
渡邊十絲子の「今を生きるための現代詩」(講談社現代新書)を読みました。第1章「教科書のなかの詩 谷川俊太郎のことば」で、「生きる」について「この『生きる』という詩は、『知的世界の一般常識』を作者谷川俊太郎とわかちあえる読者だけに供された『おとな向けのおしゃれな小品』なのである。ああしゃれているな、スマートだなと感心するためのものだ」と断言する潔さに感動し、一気に読み終えました。
渡邊は谷川を批判しているのではありません。中学生の彼女は谷川の詩「沈黙の部屋」(詩集「21」に収録)をノートに筆写していたほどなのです。同じ詩人によるふたつの詩の違いはどこにあるのか。渡邊は簡潔かつ明瞭に示し、難解と敬遠されがちな現代詩への扉を開けます。
第3章「日本語の詩の可能性 安東次男のことば」には教えられました。安東の古典論は愛読していますが、詩の方は苦手でした。読み直す日が来るかもしれません。それだけでなく、古典論の読み方が変わりそうです。
川田絢音と井坂洋子の詩にはこの本ではじめて接しました。老女が書いた小学生のような感想が詩集としてベストセラーになるような現在でも、詩は書かれ、それを目にすることもできるのだと思い知らされました。
現代詩文庫の新シリーズの刊行がはじまりました。もう一度、戻ってみるのもおもしろそうです。