昨日は夕立があり、梅雨明け宣言こそ出ていませんが今日の東京はすっかり夏模様となりました。
夏になるといつも思い浮かんでくる詩があります。「愛された小さな犬に」という副題を持つ谷川俊太郎の「ネロ」です。
私がこの詩と出会ったのは高校1年のときでした。学校で使われていた筑摩書房の教科書に載っていたのです。宮沢賢治の詩しか読んだことのなかった私に「ネロ」は強い印象を残しました。さらにこの詩の作者が当時十代であったことにも驚かされました。
早速この詩の収録されている谷川俊太郎の処女詩集「二十億光年の孤独」を探したのですが、図書館でも古書店でも見つけることはできませんでした。詩を書く友人にこの詩人のことを尋ねても、彼の愛唱するのは中原中也までで、はかばかしい答えは返ってきませんでした。
「ネロ」は18回の夏を経験した若者が、2回の夏を知っただけで死んでしまった愛犬を追悼した詩です。夏という眩しい輝きの季節に、これから人生の夏を迎えようとする若者が、死という冬の世界に旅立ったものに呼びかける詩です。
15歳の私にとってとりわけ印象に残ったのは、彼が思い出してる「自分のでないいろいろな夏」の箇所でした。
メゾンラフィットの夏
淀の夏
ウイリアムスバーグ橋の夏
オランの夏
もちろん彼は「自分の」過ごした夏も思い出しているのですが、それと本の中の夏が同じ経験となっていることに私は感動したのでした。
ネロ
もうじき又夏がやってくる
お前の舌
お前の眼
お前の昼寝姿が
今はっきりと僕の前によみがえる
(「ネロ」第一聯)