旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

隅田川貨物駅

「品川とか、田端とか、汽車と電車、それに貨物や私鉄が加わって、見渡すかぎり線路の列が並び拡がっているようなところが、その頃の私どもにとっては、鉄道というものの暴力性の象徴だった。私は臆病だからそういう場所を好まない。しかし何かの事情でそこに至ることがある。そうしてまた、原則的な事情は、どこの線路も同じことなのである。」(色川武大「雀」より)
色川の「品川とか、田端とか」にあたるものは、私には貨物専用の隅田川駅でした。色川は「暴力性の象徴」と書いていますが、それは「線路の列が並び拡がっている」駅という場所ではなく、「鉄道というもの」直截にいえば車輌を指しています。そしてそれは空襲の記憶と結びついているようです。
戦後生まれの私にも、南千住の踏切を通る貨物電車は圧倒的な力を誇示するものでした。またそれ以上に、広大な隅田川駅が得体の知れぬ力を蓄えたもののように見え、恐怖を感じてもいました。
私の住んでいた淺草橋場はタンクの並ぶ東京ガスの工場と向かい合っていました。大人たちが「省線」と呼んでいた国鉄常磐線南千住駅に行くには、工場群の間の道を抜け、隅田川駅に沿って歩き、踏切を渡らなければなりませんでした。民家が少なくて街灯もなく、人通りもあまりありません。そんなところも、隅田川駅を恐ろしく感じさせたのでしょう。
(写真は2005年9月に、当時はなかった跨線橋の上から撮ったものです。)