旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

化け地蔵と縁日

化け地蔵

平賀源内の墓と妙亀塚とのちょうど中間あたりに、3メートルくらいの大きなお地蔵様がありました。台東区の作った案内板には「お化け地蔵」と表記されていますが、私たちはこのお地蔵様を「化け地蔵」と呼んでいました。化け地蔵も総泉寺の境内にあったようです。


化け地蔵の名の由来はいくつかあるようですが、私が聞いたのは、このお地蔵様が歩いて近所の豆腐屋に買い物に行ったというものです。化け地蔵の前には小さなお地蔵様も祀られているのですが、母である化け地蔵が子供の地蔵が病気になったので、助けを請いに豆腐屋に行ったという話もありました。子供ってこの類の話が大好きですよね。
豆腐屋は化け地蔵の近くに実際にあったのです。


化け地蔵の建立は享保6年(1721)、関東大震災でふたつに折れてしまったので補修されたとのことで、頭部はそのときに取り替えたようです。300年近くもずっと立ち続けているのですね。

化け地蔵は毎月6の日が縁日で、それほど多くはないのですが夜店が立ちました。私はそれが楽しみで、母からもらった小遣いを握りしめ、縁日のたびに出かけていきました。都区内でも当時の夜道はまだ暗く、それを恐れる気持ちもあったのですが、アセチレン灯に照らされた夜店の魅力には勝てませんでした。


夜店の並び順はいつも決まっていたようです。化け地蔵の向かい側の明るい中心部にはオモチャやマンガ本などを売る子供相手の店が並び、その周りには食べ物屋、隅の方には七味唐辛子や植木の店がありました。夏になると虫屋が来て、なんと蛍まで売っていたものです。
毎回ではありませんが、子供にとっては驚嘆するような技を目の前で見せながら商う店が出ることもありました。飴細工やしん粉細工、針金細工といった店です。特に針金細工の三輪車はよく出来ていて、見るたびに欲しくなったのですが私の小遣いでは手が届きませんでした。


今でもあの頃の縁日の風景を夢で見ることがあります。そんな夢から覚めた後には、どこからか懐かしいアセチレン灯の匂いが漂ってくるような気がしてなりません。