旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

師弟だったのか

東京新聞の夕刊には「この道」という自伝が掲載されています。今は私と同じ日野市在住のつのだ☆ひろが書いています。昨日はドラムを習い始めた頃の話でした。
つのだの母は「習うなら一番の先生を見つけて習いなさい。手近なところで、二流三流の先生についても駄目よ」と言っていたそうです。そこで彼が選んだのは富樫雅彦でした。
事故で下半身不随になった富樫の復帰ライヴが新宿の「ニュー・ジャズ・ホール」であり、私はそれに行きました。「ニュー・ジャズ・ホール」は「ピット・イン」の物置を改装したフリー・ジャズ専門のライヴ・ハウスで、狭い階段を上った二階にありました。
ライヴの当日、つのだは富樫を車椅子に乗せたまま背負い、その階段を上ってきました。その怪力にまず驚きましたが、なぜつのだなのか不思議に思いました。その頃、つのだはロック・バンドで叩くことが多かったからです。師弟だったんですね。
狭いホールの二列目に座った私は富樫の演奏を隅々まで見ることができました。作り出す音楽も彼の演奏も試行錯誤中という印象を持ちました。最後に飛び入りで吹いた日野皓正が圧巻でしたので、余計にそう感じたのでしょう。
ホールを出ると、私の前を豊住芳三郎がとぼとぼと歩いていました。