旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

中学生(承前)

昨日、友人の女性は「好きな女の子では」ではなかったと書きました。まずい表現なのはわかっていましたが、そのままにしました。「彼女ではない」よりはましかな、と。あの頃の中学生の「好き」は憧れと同義でした。おつきあいをしているカップルは見たことがありません。高校生になるとそれは変わりました。校内をお揃いのマフラーを巻き、手を繋いで歩いている二人もいました。話がそれてしまいました。友だちのことに戻ります。
おしゃべりをする彼女はとても明るく、よく笑いました。学校での姿とはまるで違います。「友だちはいるの」と聞いてみました。学校にはいないけれど、進学塾で知り合った何人かとは仲良しだそうです。(このことは後に続きます。)
彼女は、主に小説ですが、実に多くの本を読んでいました。古典にとても詳しく、それ以外の話題も豊富です。「この人は学校の成績もいいけれど、そんなことは気に掛けていないようだ。学ぶことが本当に好きなんだろう。テストの点数だけがいい私とは大違いだ。」
小学生の時から教師の異常な振る舞いや暴力を見続けてきたので、私は学校が好きになれませんでした。ではどうするのか。テストさえよければ、何とかやり過ごすことはできそうです。中学校のテストには教科書に書いてあること以外は出題されず、授業を聞いていればそれがどこかはわかります。点を取るのは簡単でした。
彼女のように、授業から離れて、ちゃんと勉強すればよかったのでしょうが、私にはそれができませんでした。高校受験が迫っていたこともありますが、学校嫌いが高じて投げ遣りな気分になっていたのです。
彼女は人の噂話をしません。今読んでいる本のこと、考えていることを実に楽しそうに話します。彼女の家には下町には珍しく小さな庭と縁側があり、そこでよく話しました。休みの日に遊びに行くと、パジャマ姿で現れることもありました。彼女に女性を感じることがない私でも、それはまずいんじゃないと思ったものです。
赤毛で短い髪の彼女ですが、ボーイッシュではありません。色が抜けるように白く、実に女の子なのですが、私はそれを意識せずにすみました。なぜかはわかりません。高校でも彼女のような友だちができましたが、その人には女性を感じていました。
親しくなって少ししてから、彼女が何年も薬による治療を続けていることを知りました。死に至る病気ではありませんが、現在でも治療に数年かかります。半世紀以上前のことですから、心身ともに負担が大きかったことでしょう。彼女は感情をあらわさずに、たんたんと自分の病気について語りました。パジャマ姿の時は、体調がよくなかったのかもしれません。
彼女と私は別の高校に進学しました。会える時間はぐっと減り、1年が過ぎるとそれもなくなってしまいました。私の行った高校には、彼女の進学塾での友人がいました。「あなたのことは話してあります。とてもいい人だから絶対に会ってね」と彼女に言われましたが、その人とは挨拶を交わしただけで終わりました。その人の知る彼女と、私の友だちは別人のようでした。
彼女の夢は私を幸せな気分にしてくれました。あの時に戻れたら、と考えたことはありませんでしたが、中学1年生になって彼女と出会えるのならば、私はそれを望むでしょう。