旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

新島原、新富町

三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)はあまり読んでいません。昨日ふと中央公論社版全集の第八巻(1975年)を手にしました。巻頭に三つ折りの口絵があります。一曜斎国輝筆の新島原の実景です。
新島原、聞き覚えがありません。錦絵は東京築地鉄砲州景六枚続きのうちだそうで、そのあたりにあった遊郭なのでしょう。鉄砲州の近くに住んでいたことはありますがまったく知りません。本文には、新島原があったのは1866年から1868年のわずか二年半で、その後新富町と改称して町屋になったと書いてありました。
私は十数年、新富町にある会社に勤めていました。町内の京橋税務署は守田座(後に新富座)の跡地にあり、近くの第一勧業銀行(現みずほ銀行)築地支店は築地小劇場のあったところでした。そして私の働く会社も演劇の仕事をしていました。そのせいで、新富町には芝居町という印象があります。
遊郭のあった場所はどこかにその面影を残しているものです。しかし新富町には三業地の残り香はありましたが、遊郭を感じることはありませんでした。あまりにも短期間で消滅してしまったからでしょう。