旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

丘灯至夫が語ったこと

小学6年生の夏休みの1週間は、いつものように母の実家で過ごしました。電話機が有線放送のスピーカーも兼ね、1日に何度も舟木一夫の「高校三年生」が流されていました。その年の日本レコード大賞は新人賞が舟木と三沢あけみ、作詞賞は「高校三年生」を書いた丘灯至夫でした。
その授賞式での丘灯至夫へのインタビューを私は今でも覚えています。司会の高橋圭三が「「高校三年生」を作詞した丘灯至夫さんです」と丘を紹介すると、客席から笑い声が起こりました。青春ソングの作詞家の頭髪が薄かったからでしょう。彼はこう語りました。
「今の若い人たちがうらやましくてなりません。私が夢見た青春時代を過ごしているからです。そんな気持ちを込めて「高校三年生」を作詞しました。」
丘は1917年の生まれです。彼は専業作詞家ではなく、毎日新聞社で定年退職まで働きました。
中学2年のときに、同級生から舟木一夫のコンサートに誘われました。場所は国際劇場で、招待券をもらったそうです。
「学園ソングは好きでもなかったんだけど、「涙の敗戦投手」を聞いてぐっときちゃったんだよな。」
「涙の敗戦投手」の作詞は丘灯至夫でした。コンサートは舟木主演の映画「高原のお嬢さん」との抱き合わせで、短いものでした。私は舟木が好きでしたが、それをもらしたことはなく、イギリスのビートグループの影響でギターを弾き始めていましたので、彼が付き合いのない私を誘った理由はわかりません。
46歳の丘灯至夫は今の若者たちがうらやましいと言いました。私は今の若者たちが気の毒でなりません。