旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

BUTAKAN

白鬚橋

錦ちゃんやお嬢の映画を夢中になってみた映画館は白鬚橋東詰にあった「白鬚東映」でした。しかし、私たちはこの映画館を正式な名前で呼ぶことはありませんでした。
揶揄する気持ちと、ちょっとばかりの親しみを込めて「ブタカン」と呼んでいたのです。たぶん汚い(豚)映画館(館)だったからでしょう。よく言う、ションベン臭い映画館、だったのです。


「ブタカン」はいつも3本立興行でした。当時の東映映画は1本が7、80分でしたし、町の映画館ではそれがあたりまえのことでした。そんな映画ばかり見たせいか、私にとって映画の上映時間は90分を上限とします。*1


短いとはいえ3本立です。明るい時間に入場しても、帰りには暗くなっていることがよくありました。あれ、いつの間にこんなに時間がたってしまったのだろうかと、不思議に思えたものです。
映画を見るときはどこの家も家族総出です。日曜日の「ブタカン」には人があふれていました。


明治時代の東京には町内毎に1軒、寄席があったといいますが、私の子供時代にはどこの町でも、歩いて行ける範囲に何軒かの映画館がありました。
私の育ったところですと、コツ通りには東宝系の「南千住文化」がありましたし、1、2回しか行かなかったので場所は忘れてしまいましたが、大映系の映画館もありました。*2
残念なことに、私の住む日野市には映画館が1軒もありません。


テレビの興隆とともに、町に娯楽を提供してくれた「ブタカン」も閉鎖されました。閉鎖前にすでに映画は上映されなくなり、単発的にストリップなどをやっていたようですが、子供の私には遠い世界の出来事です。
ただ、新聞に一度だけ折り込み広告が入っていたことははっきりと覚えています。*3


私が最も通った映画館は「ブタカン」でしたが、二番目は東銀座の「日劇文化」でした。どちらの映画館も今はありません。

*1:もちろん、ポップソングは3分間に決まっています。

*2:「ブタカン」の先だったような気がしますから、玉ノ井のあたりにあったのかも知れません。

*3:そのチラシのキャッチコピーも記憶しているのですが、それはここに書けるようなものではありません。