旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

町の中の工房

子供のころ、家にコリントゲームがありました。古びたものでしたが、父がそれで遊んだとは思われず、たぶんもらいものだったのでしょう。
積極的に遊んだ記憶はありません。気が向くと、それもごくまれに、玉をころがすくらいでした。


既製品のコリントゲームには関心がなかったのですが、自分で作るそれは別でした。
何年かに一度、子供たちの間で、コリントゲーム作りがはやったのです。誰かが作り、それを遊びの場に持ってくると、我も我もと、それで遊ぶことよりも、作ることにみな夢中になりました。
材料はベニヤ板と釘だけですから、作れない子はいません。
遊びの場は一転して工房になります。子供たちはひたすらに釘を打ちます。
一番よくできているのは、それを持ちこんだ子のものと決まっていました。そして、それだけが実用に耐える唯一のものだったのです。
遊べるコリントゲームは意匠も優れていました。釘が幾何学的な模様を形作る程度ではまだ初歩で、虫や動物が描かれたものまであったのです。


あのころは器用な子供が大勢いました。
私の育った町が、職人や手工業者の多い東京の下町だったからです。子供たちは、もちろん私もですが、親の仕事を見ながら、そしてそのまねをしながら育ったのです。
親の後を継いだ子もいましたが、彼らがそれをまっとうすることは、おそらくできなかったはずです。