旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

ボビちゃんの笑顔

一度読んだ小説の一部が、まったく違った文脈で引用されると、それと気づかないこともあるという経験をしました。


鶴見俊輔編著の「日本の百年9/廃墟の中から」の冒頭近くに、1931年生まれの川崎澄子という女性の、小学校から女学校時代にかけての回想文が載っていました。
神戸生まれの彼女は、両親をパパ、ママと呼び、月に一度床屋を家に出張させるというような、裕福な家庭に育ったようです。おもしろい女の子で、入試のときに敬う人を尋ねられ、清水次郎長西行法師と答えたとか。
澄子ちゃんは、戦時中なので死ぬことに慣れようと右腕に数珠を巻き、上唇のまわりには波打つほどの髭(産毛)を生やして、朝礼のときには級長として男らしい響きのある低い声で号令をかけていました。
引用文の終わりには著者の名前が記されていました。久坂葉子の「灰色の記憶」からだったのです。久坂の祖父は、川崎造船創立者、川崎正蔵です。


私は久坂の本は1冊しか持っていません。読んだのもそれだけなのですが、その中には「灰色の記憶」が収録されています。
講談社文芸文庫版の久坂の作品集「幾度目かの最期」には21歳で鉄道自殺した彼女の、ピンぼけのポートレートが収められています。死の1年前に撮られたものですが、ボビちゃんというニックネームに似合った健やかそうな女性が、すてきな笑顔をこちらを向けています。


富士正晴の「贋・久坂葉子伝」も手元にあるのですが、書棚で埃をかぶっています。