旭亭だより

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古今亭志ん朝

京須偕充(きょうすともみつ)編集の『志ん朝の落語』(ちくま文庫/全六巻)を読み返しています。今頃になってやっと、古今亭志ん朝の落語の独自性が、わずかですが、掴めたように思えます。
志ん朝没後に柳家小三治が独演会の一席目でこんなことを話していました。小三治の独演会の一席目は、客の期待もあったのですが、長い枕で終始することが多く、この日もそうでした。その途中に、やや口調を改めて「私もね、こんなことやりたくはなかったんですね。でもね、志ん朝がいたんです。志ん朝ですよ。で、こんな風になっちゃった」と挟み込んだのです。
柳家三三は雑誌のインタビューで、師匠、小三治の稽古についてこのようなことを語っていました。「師匠から直接噺を習ったことはありません。時時『あれやってごらん』と言われそれをやりますと、じっと聞いていて、終わると『これとこれがまだまだだな』と注意してくれます。それらの人物に血が通っていないと言うのです」。
志ん朝は父、志ん生ではなく黒門町桂文楽)を目指していたそうです。志ん朝の落語は、その両人と三遊亭圓生に深く学んだものでしたが、それだけではありませんでした。噺を大きく変えることはありませんでしたが、会話にちょっとした言葉を加えることによって、登場人物がぐっと身近なものに見えてくるのです。噺を損なわない程度に現代性を与えたともいえるでしょう。
小三治は卑下していましたが、彼の落語にもその傾向はあります。だからこそ、弟子にもそれを求めたのです。立川談志もまた、志ん朝がいたことによって、自分の落語を見つめ直した落語家でした。