自分が江戸時代に暮らしていないことを知らされ、深い挫折を味わったおバカな私でしたが、それによってチャンバラごっこが嫌いになることはありませんでした。むしろロールプレイング・ゲームとしてのチャンバラごっこに、さらに打ち込むようになりました。
たぶん近くに剣道の道場があったなら、そこに通うようになったのかもしれませんが、家のそばには、やや離れたところに柔道の道場があるだけでした。「イガグリくん」の世界は私にとっては暴力的過ぎて、親しみを感じることがありませんでしたから、柔道を習うことは一度も考えませんでした。もしもそのころに寺田ヒロオの「もうれつ先生」を読んでいたなら、違っていたかも知れません。
諸国を武者修行する剣士という職業の次ぎに憧れたのはチンチン電車、都電の運転手でした。本屋で売っている車掌セット(切符、切符切り、腕章などが車掌の鞄をかたどった箱に入っていました)は何度買ってもらったかわかりません。
将来はチンチン電車の運転手になろう、私はそう決意しました。
が、都電の廃止によってこの夢も叶えることができなくなり、私に二度目の挫折が訪れました。そして「職業なんて、もうどうでもいいや」という自暴自棄の日々が続くことになるのです。
都電荒川線は今でも残っていますが、あれは私にとってチンチン電車ではありません。一般の道路を走るものがチンチン電車なのです。でも、唯一残った都電荒川線には愛着があります。
荒川線について10年ほど前に書いた文章がありますので、その一部を引いておきます。
20年ほど前に日本テレビ系で放映されたテレビドラマ「たんぽぽ」の主題歌は松本隆作詞、吉田拓郎作曲の「隠恋慕(かくれんぼ)」でした。
雨街 風街 路面電車は
想い出みたいに 横切り消えた
線路の向うで 子供のように
両眼を押さえた 君が立ってた
この歌が流れるオープニングには、当時既に東京ではそこだけになってしまった路面電車、都電荒川線が映っていました。ぼくはいつもそのシーンが終わるとテレビを消してしまいましたので、宇津井健主演のドラマの内容はまったく知りません。
主題歌とそれだけで十分ドラマになっていました。歌詞は次のように続きます。
正直すぎる男が 優しすぎる女の
肩抱いた時 雨も上るよ
隠し隠せぬ隠恋慕
好きといえずに 空見上げれば
やっと見つけたよ 倖せの影
橙色の電燈が照らす小さな商店たち、町工場、そこをぬって走る路面電車、そんな画面にこの歌が流れればもう何も付け足すものなどいりません。
テレビではそこまでは使いませんでしたが、二番の歌詞もとてもいいものです。
夢街 川町 舟を指さす
人生抱くには 小さな君の掌
ごらんよか細い 生命線を
一緒に重ねて みるのもいいね
都電荒川線は、車内から川面を見ることはできませんが隅田川に沿って走っています。
「舟を指さす」、ぼくの子供の頃には舟を家とした水上生活者たちがいました。小学校のクラスにもその子弟が在籍していたのですが、長期欠席扱いとなっていました。
小栗康平監督の映画「泥の河」(1981年/木村プロ)にも舟の中で生活する家族が出てきます。隅田川の水上生活者と加賀まりこの演じる母親の方便(たづき)の仕方はまったく違うのですが、「泥の河」の風景はあの頃の東京の下町にぴたりと重なります。
ぼくが初めて憧れた仕事は都電の運転手でした。
車掌と運転手が連絡のために紐のついた鉦を鳴らす音から、チンチン電車と呼ばれていた都電はぼくを未知の世界へ連れ出してくれる不思議の国の乗物でした。
「泪橋」か「山谷」の停車場でチンチン電車に乗ります。吉野町、今戸を通り浅草へ、さらに厩橋、浅草橋、小伝馬町を過ぎ日本橋まで。日本橋からは東京駅や銀座へも歩いて行くことができます。
しかし路面電車はぼくが高校を卒業する頃から次々と廃止され、憧れの職業が消えていくという挫折を味わうことになりました。