旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

ふたつの書評(2/3)

今日の読売新聞の読書頁「本 よみうり堂」では、昨日ふれました小泉今日子さんと西川美和が揃い踏みをしていました。ともに長い方の欄で、それぞれ万城目学鹿男あをによし」と堀江敏幸「めぐらし屋」を取り上げていました。
昨日はおふたりを少しくさしてしまいましたが、今回は書評らしい書き方になっていました。短い欄では十分に書けなかったのかも知れません。が、まだ人を本屋に走らす書評にはなっていません。
でも、昨日も書きましたが、本の選択に、彼女たちの個性がはっきりとあらわれています。


順序は逆になりますが、6月24日に日本経済新聞の掲載された芹沢俊介氏の書評を先に取り上げます。
正直に言って、私はこれを先に読んでいたら「滝山コミューン 一九七四」を手にすることはなかったでしょう。芹沢氏の文章の趣旨が掴めないのです。


著者の原武史氏は、彼が6年間通った東久留米市立第七小学校での生活の後半に、ひとりの若い教師によって持ち込まれ、学校全体をも巻き込んだ運動となった班活動を中心とした学級(学校)運営を、彼の実感から「滝山コミューン」と名付けました。コミューンを作ろうとする運動があったわけではないのです。
芹沢氏は「コミューンが形成されていく過程が記述されているというふうには思えなかった」と書いていますが、書かれていなくあたりまえなのです。


原氏は班活動が始まった当初から、これを批判的に見ていました。彼は進学塾と、そこに通うことから関心が芽生えた鉄道の世界に安らぎを見いだしていきます。しかし、学校の仲間と離れていく後ろめたさを常に感じていました。
「だが評者は(コミューン運動に−引用者注)酔えなかった子どもの孤独に寄り添いたいと思った」と芹沢氏は結語しましたが、これは書評の文ではありません。


原氏がこの本で一番伝えたかったことに関する記述が、芹沢氏の書評にはまったくないのです。*1


また、これは芹沢氏に関わりのないことでしょうが、この書評の副題は「時代の空気と共鳴した異色の教育」となっています。これだけを読めば、著者が「異色の教育」を評価しているよう見えてしまいます。それでは、この本に書かれていることと正反対になってしまうのです。

*1:穿った見方をすれば、さもありなんと思える理由が仄かに見えてくるのですが、ヒントにとどめておきます。「水道方式」がそれです。