旭亭だより

年金暮らし老人の近況報告です

佐藤幹夫「自閉症裁判」(3/3)

事件の1時間前に加害者は別な女性と接触しています。その女性は彼を痴漢か変質者と、思い助けを求めて叫ぶと、彼はあっさりと去っていきました。


加害者は被害者を後からナイフで刺し、倒れた彼女に馬乗りになりさらに腹部を数カ所刺しました。なぜ彼はこんな残酷なことをしたのでしょうか。
この事件の動機は論告求刑では次のようになっています。

被告人は、被害者が自分の好みのタイプであったが、自分を睨み付けるように顔をしたため、自分のことを馬鹿にしていると思うとともに、被害者には交際相手がいるだろうと考え、立腹し、被害者を殺して自分のものにしようと考え、犯行に及んだのであり(略)

加害者の取調べにあたった警察官は彼から「かわいいから殺してでも自分のものにしたかった」という発言を引き出し、そのことになんの疑問も感じていません。
初対面の女性に対して殺してでも自分のものにしたいという欲求を持つことは、異常なことではないでしょうか。性的な関係を求めるのであれば相手が死体であっては不可能です。比喩ではなく本当にそれを求める人がいるとすれば、それは死体性愛という嗜好を持った異常者です。
検察は加害者を異常者とは見ていません。彼は「自閉的傾向をもつが、精神遅滞という範疇で理解可能である」のです。これは論告求刑の発言と矛盾しています。


佐藤は養護学校の教諭経験から自閉症の障害を持つ人びとの性欲が、常人の性欲の発展の過程のどこかに踏みとどまっていることが多いと考えます。取調官は「女をものにする」ことイコール性交としか捉えていないのではないか。
では彼は被害者に何を求めたのか。答えは彼自身が繰り返し述べています。「友だちになりたかった」と。


友だちになりたかったのになぜナイフを持って近づいていったのか。友だちになりたかったのなぜ彼女を殺したのか。彼は「わからない」と答えるだけでした。
彼女の声は「真剣に言っても、ふざけているような、甘えているような声」であったそうです。彼女の最初の拒否の言葉を彼は誤解したことが悲劇を招いてしまったのかも知れない、佐藤はそんな「詮ない推測」をしています。


村瀬学の本を読むまでは自閉症についての知識も関心もなかった私が、なぜこの病のことが気になるようになったのでしょうか。自身のあまりの無知さを埋めるためにという回答がまず浮かんできますが、決してそれだけではありません。では、と一歩進もうとすると曖昧になってしまうのですが、私を包んでいる何かが、知ることを求めさせています。
その何かも含めて、もう少し突き詰めていくつもりです。