旭亭だより

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佐藤幹夫「自閉症裁判」(2/3)

加害者は起訴前に簡易鑑定を受けています。鑑定をした医師は公判で「被告は自閉的傾向をもつが、精神遅滞という範疇で理解可能である」と述べています。
一方、弁護側の証人として出廷した医師は、多くの点から自閉性の障害をはっきり示すと述べました。
この「自閉的傾向」と「自閉性の障害」(自閉症)の間には径庭があります。裁判長は前者の意見に与し、無期懲役の判決を下しました。
弁護側の医師は公判で「自閉傾向という言葉を何度か使っています。いまの児童精神医学の世界ではそうした曖昧な言葉を使うことはありません。」と簡易鑑定をした医師を批判しています。
「自閉的傾向」という言葉が一般的な意味で使われると、対人関係が下手であるとか、ひきこもりがちであるといったことになります。それは「自閉症」とは全く違ったものです。
佐藤はこう記しています。

自閉傾向はあるが自閉症ではない」。この言葉が濫用されたとき、自閉症をどう判断すのかその基準が曖昧になる。判断するものの主観に左右され、決定のいっさいが判断する者に委ねられることを結果的に意味する。

この本を手にしたときの私は「自閉症裁判」という書名を意識することはありませんでした。自閉症の青年が犯した殺人事件の裁判についてのレポートであるから当然の書名だろうと。しかし、この本を読み進むうちにこの書名にはもうひとつの意味があり、そちらの方がずっと重要であることに気づきました。
この本は自閉症が引き起こしたともいえる殺人事件の裁判についてのレポートなのです。


こう書くと佐藤は、障害者の罪は軽減すべきだとの立場に立っていると思われそうですがそうではありません。彼はこのように書いています。

もし障害をもつ人びとが、なんらかのかたちで加害の側に立つことになったとき、法の裁きをしっかりと受けてほしい(略)。しかし自己を守ることにおいて、知的障害や発達障害をもつ人びとはきわめて弱く、もろい存在である。だからこそ、十全な裁きを受けてほしいと考える。

なぜ殺したのか、動機をめぐる検察側と弁護側の考え方の違いにこの裁判の難しさがあぶり出されてくるのですが、それは明日の便りにいたします。