旭亭だより

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転向論の現在

田中清玄が軽んじられるのは、彼が転向者であったからでしょう。それも、戦前の武装共産党の書記長という組織の中心にいた人物が左翼思想を捨てただけではなく、あろうことか反対の立場に転じてしまったのですから、そう思われてしまっても仕方のないことだったかもしれません。
また、転向声明を出したのが佐野学、鍋島貞親の後になったせいか、転向論で取り上げられることがなかったことも、彼の人物評価に影響しているはずです。


吉本隆明の「転向論」を読み終えたときの感動は、それから40年も過ぎた今でもはっきりと覚えています。その後、いくつかの転向論を読みましたが、転向=中野重治=「村の家」というトライアングルは、崩れることのない強固なものに思えていました。
昨年、すが秀美の「1968年」を読み、私の中のこのトライアングルに亀裂が入りました。
中野重治宮本顕治に対する負い目は生涯消えることがなく、復党さえも願っていたようです。そうなると、吉本の「村の家」の解釈は間違っていたことになります。
もちろん、それによって吉本の「転向論」が意味を失うことはありません。転向が強権によってのみもたらされるものでないことを示した画期的は評論です。
すがは「村の家」に、故郷喪失というヘルダーリン的な主題を見、この小説は保田與重郎小林秀雄と並べて読むものだと喝破します。この部分は、日本浪漫派についての知識のない私には何とも言えません。
保田が左翼からの転向者であるという説もあるそうで、彼の中野に対するシンパシーは通り一遍のものではなかったようです。
保田の著作は講談社文芸文庫の「保田與重郎文芸論集」を持っているだけですが、文庫本で出た著作集が今ならまだ手に入りそうですので、引きこまれてしまいそうで怖いあの文体と格闘してみることにします。


お題と違って、貧しい内容の便りになってしまいました。面目ない。


1968年 (ちくま新書)

1968年 (ちくま新書)